先日、群馬県安中市にある碓氷製糸工場へ訪問させていただきました。
まさに地産地消とそこから生まれる持続可能性が体現されていたので、ここに書き留めます。
歴史的背景や事実は詳細には書きません。群馬での研究調査で知っている事実と訪問して辻褄があったことを考えとして綴ります。
碓氷製糸株式会社は日本最大の製糸工場です。群馬オリジナル蚕品種をはじめ、国内12県で生産された繭を生糸に加工し、全国の生糸問屋や絹織物工房等に販売しています。
繭収納量は48.8トン/ 年(うち群馬28.0トン、その他は宮城、福島、茨城、栃木、千葉、山梨、岐阜、愛知、熊本)、年間生糸生産高 6.21トン(全国の60.0%)にも及びます。(参照:碓氷製糸公式サイト)
現在(7/23)は、写真のように動いていない機械がほとんど。1箇所を時間帯によって動かしているそう。
10年ほど前まではほぼ全てが稼働するくらいの勢いがあったといいます。
繭から生糸をつくつことを製糸と言います。蚕がつくる繭からいいものを選別し、それを40度ほどで湯でながら糸先を探し、糸にしていく。
(ざっくりな説明ですがもっと細かい工程があります)
1つの繭は13Mにも及ぶ、1本の糸でできています。お蚕様の生命力です。ここでは命をありがたく頂く姿勢も見れます。
ここからは村上独自の考察です。
群馬県は、養蚕業・製糸業・織物業などが盛んな地域で日本全国でもトップの生産地でした。
世界遺産である富岡製糸場があるように殖産興業(明治政府が西洋諸国に対抗し、機械制工業、鉄道網整備、資本主義育成により国家の近代化を推進した)の中心になり、全国への流通網でもありました。
地域全体で繊維業に携わることが一般的で、養蚕する家、桑(蚕のえさ)を育てる家、繭から生糸にする家、生糸を全国へ出荷する卸、染め屋、布を折る機屋、など。家ごとに仕事があって、地域全体で動かしていたとおばあさまから聞いています。
小さい家ごとの規模を工業的(大量生産型)にしたのが殖産興業で、先ほど紹介した富岡製糸場は日本一大きな官営工業施設でした。
そして、地域にはそれ以外に組合が運営する製糸場がありました。
この碓氷製糸さんは、繭は群馬の養蚕業から、労働者は地域の方、大量に使う水は工場の隣にある碓氷河から、生糸になった後の蚕の蛹は食料としていただく。生産した生糸は群馬県をはじめ、全国へ飛び立ち、地域産業は回っていく。
そんな循環を生み出しています。これこそ地産地消から生まれる地域の魅力と強さだと思います。
はじかれた繭はどうなるのか?
廃棄、しません。紡績します。
紡績 短い繊維から糸をつくること。
ですので、また別の種類の糸になります。
繭の中にいる蛹を秘伝の味付けで炒めた?煮た?ものです。佃煮のような味で、パサパサな食感でした。水分ないと厳しかったです笑
この料理長は蚕料理のフルコースを提供しているとか。これから昆虫食も開発されるそうです。
製糸工場から学んだことは、生糸という素材を群馬に流通させて、生糸から生まれるその先の成果物が文化を形成するということです。生糸はあくまでも素材です。糸を工夫して織物にしたり、布や布団を作ったりします。その織物文化がしっかりと発達し、群馬には根付いている。その成果物が地域の産物になり、経済を循環させ、地域を強くする。
そして、文化として人々を経済的にも精神的にも強くする。
その代表として、ここではAyが手がける銘仙を挙げます。銘仙はくず糸からつくられた絹織物です。鮮やかなテキスタイルが魅力的な普段着の着物でした。
群馬以外にも全国へ、そして世界へ流通する生糸。工業化が進んだからこそ可能になり、地域をより発展させたのです。
天然素材だからそこ手間と時間がかかる工程ばかりですが、この技術を絶えず継承している碓氷製糸さんの皆様の姿に感動をしました。
日本の絹産業は衰退しています。今や中国、ブラジルが多くの輸出量、質の向上があります。量が少なくなっても、技術とその素晴らしい文化を地域をあげて残していきたいものです。
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